くりーむパンの八天堂 失敗からの再起そして商品開発の真実

今回の動画はBACcTチャンネル日本細菌検査の野﨑が株式会社八天堂の三代目社長の森光孝雅さんにインタビュー形式で経営危機を乗り越えた舞台裏に迫ります。 

八天堂(はってんどう)は、広島県を中心に展開する企業で、スイーツパンで有名です。広島県からスタートして世界にも店舗を構えています。創業の地は三原市と世羅町の間でした。八天堂は、冷やして食べるくりーむパンやスイーツパンとして世界で親しまれています。八天堂の経営危機から商品の衛生管理まで3回にわたって解説致します。

動画は主に4つの内容で構成されています 

  • 社名の由来
  • 事業承継時の苦労 
  •  店舗拡大によって起きた問題
  • 八天堂の経営理念 

では順番に見ていきましょう。 

社名の由来

1代目社長(森光香さん)の生まれた家の前にお堂が建っており、お堂の名前が『八天堂』だったことがきっかけです。

字体の良さや語呂、意味合い、地元の人たちにも応援してもらっていたことから、ぜひ社名にしたいということで名付けられました。 

八天堂は、よくお客様に「“発展”の字かな?」と言われるそうです。末広がりの『八』に天地の『天』と書きます。それにお堂の『堂』で八天堂です。もともと創業者が三原市と駅伝で有名な世羅町の間でお店を構えました。 

今でもお堂は残っており、3代目社長の森光さんも節目節目にはお堂に参ることがあります。 

八天堂は、昭和8年に創業し末広がりにコツコツと天に向かってという思いで現在も挑戦を続けているのです。

事業承継時の苦労

『事を成すは逆境にあり、事を破るは順境にあり』という言葉が森光さんの胸にビシッと刺さっているようです。というのも事を成している時は、いつも逆境時だったようです。 

森光さんは和洋菓子だったところからパン屋に業態転換をしました。父が展開していた会社から3kmほど離れた場所にパン屋を建てたのです。開店資金は1500万円必要でした。 

当時の2代目社長(森光さんのお父さん)から自分で運転資金を借りてこいと突き放されたようです。というのも和洋菓子店はすでに債務超過に陥っていたからです。それを理由に資金を貸してもらえないと考えたのです。 

そこで社長は、息子である孝雅さんの熱弁でどうにか調達してくることが最善と考えたのです。今から一世一代のオープンをしようとした時に、孝雅さんに投げられたのは資金調達だったのです。とうぜん親御喧嘩も行ったようですが、最終的には資金調達に成功しました。 

では、どうして借りることができたのか? 

理由は土地を担保にしていたからです。というのも平成2年は三原の地域の地価が右肩上がりだったのです。 

つまり担保の評価価値が上がっているので借りることができたのです。 

当時そこまで冷静に考えられるわけもなく、熱弁によって資金を調達できたと思っていたようですが、時価ベースではしっかり土地の価格で担保されていたようです。 

そんなこんなで八天堂は外部環境を味方につけ一気に開店資金を返済します。 

追い風となった外部環境は3つです。

  • 朝から開いている焼きたてのパン屋がない
  • 大手のコンビニがない 
  • 焼きたてパンブームがきている 

よってシャッターを開けるや否やお客が押し寄せてきたようです。お金が潤沢にある状態になった八天堂ですが、ここから落とし穴にはまっていきます。10年間で焼きたて工房付きのパン屋を県内に13店舗までひろげるのです。

店舗拡大によって起きた問題

当時を振り返った孝雅さんは、店が増えることで問題が増えてきたのにも関わらず、正しく向き合うことが出来なかったと言います。というのも自分のことしか考えていなかったからです。 

当時の夢は修行先の神戸市三宮に出店することだったようです。そこに「1番大型店を構えたい‼︎」こんな野望があったのです。森光さんは、元々三宮のドイツパンで修行をされていました。今でもそのパン屋の近くに用事がある時は購入するようです。 

では、そこからどんな顛末が待ち受けていたのか? 

地鎮祭(工事の無事を祈願するための儀式)まであとわずかという時に、社長の右腕である方に辞められたのです。

彼には無理なことをさせていた上に会社としても金利の高い時に無理な借金をしていました。

結果的に一番の大型店を開店することなく終えます。その後、他の店舗の店長や社員が辞める事が相次いで起こってしまったのです。よって店を回していくことも困難な状態になってしまいました。いつの間にかブラック企業になっていたのです。開業したての時は有給100%の個人店として職場環境が日本一良かったはずでも、転げ落ちてしまうのです。人もお金も回らない状態になってしまいました。 

八天堂の経営理念

八天堂の経営理念は『良い品 良い人 良い会社つくり』です。経営理念とは腹に響いてくるものでなくてはいけません。また自分の人生を使って必ずやりきっていくという事が大切であると森光社長は言います。自身が、どん底を経験し、周りに迷惑をかけて気づかせてもらうことができたのです。 

その結果『良い品 良い人 良い会社つくり』が生まれました。紆余曲折を経て、社長自身の心に響く経営理念が誕生したのです。

いかがだったのでしょうか?今回は、社名の由来から経営理念の誕生まで解説しました。想像してみてください、社長の右腕が「辞めさせてほしい」という状況にまで追い込まれたこともあったことを。だからこそ、人生を賭して挑戦する経営理念が誕生したのです。1回目から八天堂の経営危機の舞台裏を赤裸々に話していただいたため濃い内容でした。 

次回はどのように会社を拡大していくのか?という内容になっています。 

インタビュー形式で話を進めていく過程でいつ日本細菌検査(BACcT)と出会うのか注目していただければ幸いです。

今回の動画はこちらです。

本記事の【#2】はこちらです。
くりーむパンの八天堂商品開発〜広島三原から世界へ