【宮城県・美里町】地元産の食材で商品開発を行う食肉加工会社の代表にビジネスについて聞きました【とんたろう/前編】 

今回の動画はBACcTチャンネル日本細菌検査の野﨑が有限会社とんたろうの代表取締役社長の鈴木龍一さんにインタビュー形式で食肉加工会社のビジネスに迫ります。 

農家からハム、ソーセージの製造販売を行う企業へ転身された鈴木さんに、会社の成り立ち、資金調達や業績にも触れながら、お話していただきます。35年もの歴史を持つ『とんたろう』は安心安全に力を入れており、自社検査も持っている企業になります。農家から、どのように変貌を遂げたのか、ぜひ鈴木さんの話を最後までご覧ください。

動画は主に5つの内容で構成されています。 

① とんたろうの成り立ちについて
② 創業時に直面した資金難の問題
③ 起業当初から業績は順調だった? 
④ 業績がV字回復したきっかけ 
⑤ 新しいビジネスモデルの構築 

では順番に見ていきましょう。 

とんたろうの成り立ちについて

もともと専業農家でした。当時は豚も飼っていて、田んぼもササニシキという品種の米を作り、畑では、大根とかネギなどを作っていました。そんな中、自分たちが愛情を込めて育てた豚をハムやソーセージにしようという話が生まれたのが35年前です。資金や施設もないところからのスタート。当時、豚を飼っている人たちでお金を出し合いましたが、360万円ほどしか集めることができませんでした。資材や運転資金も全然足りません。そこで、町長と組合長の所に出資のお願いに行ったのです。出資していただき合計1,000万円集めることで平成元年の4月に工場を建て、有限会社とんたろうが誕生します。会社を建てた理由は、ハムやソーセージを作って売るにあたって責任の所在をはっきりさせるためです。 

②創業時に直面した資金難の問題 

会社を設立しても問題がありました。工場の設計、見積もり、それから工場を運営していく上での運転資金などを計算したら全然足りなかったのです。 

最初の仕事はお金を借りに行くことでした。農協から800万円を借りることに成功。続いて、食品を作る会社には、食中毒リスクもあるので、誰に責任があるかを明らかにする必要がありました。そこで、会社のトップである鈴木さんが、連帯保証人になったのです。「会社を起業したメンバーに連帯保証人にするのも気が引けたし、せっかく一堂に集まったメンバーがバラバラになるのも怖かった。」と当時を回想しながら話してくださいました。 

③起業当初から業績は順調だった? 

バブルが弾けるときに起業したので、仲間の豚を買い上げて、ハムやソーセージ作りを始めました。予想していた金額より低かったですが、1年目の売り上げは7,000万円でした。 

7,000万円の内訳は、 

  • 農協の総会の記念品 
  • 町の敬老会の敬老記念品 
  • 町民の人たちが1週間に1回ずつ買ってくれる商品
  • 町内への配達
  • 百貨店での販売

初年度の売り上げは堅調に見えますが、粗利で見るとそれほど高くなかったのです。というのも大手企業メーカと違い手作りのため手間暇がかかってしまうからです。たとえば、製造する豚肉を搬入して、脱骨して、成形してハムやソーセージになる部分を切り分けてなくてはいけません。味付けすると熟成期間にだいたい1週間ほど設ける必要があります。その1週間でパートさんたちがスライスしてパックして、製品化するのです。また仲間から買う豚は相場のプラス20円~50円で買い取っていました。手作業にかかる人件費と相場より高く買い取っていた金額がかかっていたのです。 

よって粗利は、高くなかったのです。バブルが弾けて景気が悪くなっていく時代に起業したので、初年度以降は、毎年売り上げが落ちていきました。世の流れは、安くてボリュームのあるものに志向が変わっていったのです。結果的に3・4年目には債務超過を迎えていました。 

④業績がV字回復したきっかけ

やまやの商品作りが始まったのがきっかけです。 

というのも現やまやの社長の佐藤さんが、当社のハムやソーセージに目を付けて下さったのです。やまやは、塩竃(宮城県のしおがま市)が本社である田舎の会社でしたが、店舗展開が急拡大していった時期でした。その際、佐藤さんにとんたろうの商品を食べていただき、評価をいただきました。そこから、やまやのためだけの商品を作ることになったのです。 

結果、全店舗に置いていただくことができたので、やまやのみで年間3,600万円を売り上げることができました。 

当時、年商は2,000万円まで下がっていたので、やまやの売り上げのみで前年度を超えることになったのです。ここから景気が回復していきました。 

⑤新しいビジネスモデルの構築

スーパーマーケットのバイヤーさんが、うちだけの商品を作ってくれないかと依頼されたことがきっかけです。というのも全国のやまやで展開していたため商品を見られたのです。同じように宮城県の松島市のお土産を卸している問屋の営業部長から商品の依頼を受けました。 

結果的に、とんたろうは多品種小ロットの生産体制を構築することになりました。この体制は、人が大切になってきます。土産屋に卸している商品は店舗によって違うからです。たとえば、ロット、カットの仕方、並べ方、ペッパーの有無や形が違います。 

人の手作業によって、何種類も商品ができる体制は実現します。今では土産屋に卸している牛タンの商品が年間売り上げ2億6,000万円から8,000万円のうちの75%を占めています。店のオリジナル商品を作ることで新しいビジネスモデルが構築されました。 

地元の食材で商品開発を行うとんたろうの社長のお話は、創業時の資金集めから業績が回復していた理由までお話していただきました。内容は、会社を経営されている方に届いたのではないでしょうか?オートーメーション化でなく、人の手作業だからこそできたビジネスモデルです。 

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